「シラス」と「ウシハク」
ずいぶん、久方ぶりの投稿になります。
無料のBlogの外観を使っているので、もうちょっと見やすくスタイリッシュなものにしたいと考えていましたが、今日、新しい投稿を挙げると約束した方もいますので、取り急ぎ、新規にアップします。どうぞよろしくお願いします。
さてさて、
憲法第一条は、どこの国でもその国の国柄(国体)を明記するもののようです。試しに幾つか調べて見ました。
中国「中華人民共和国は労働者階級が指導し、労働者と農民を基礎とする人民民主主義国家である。」
フランス「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。 社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない」
アメリカ「連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない」。
確かに、それぞれの国柄を表現しているようです。(韓国の憲法は調べる氣になりませんでした。。。)
今から150年近く前の明治時代に、大日本帝国憲法の起草を担当した井上毅(いのうえこわし)は、フランス留学で司法を学び、国文学者と古事記や日本書紀等の古典を20年掛けて研究し、司法と日本の国体について深い理解と洞察のある方でした。
その井上氏は悩みに悩み抜いて大日本帝国憲法 第一条を
「日本帝国ハ万世一系ノ天皇の治(シラ)ス所ナリ」
としました。この“シラス”と言う言葉は明治の当時でも、あまり使われていなかったので、後に“統治スル”と置き換えられたのですが、本義は“シラス”であると『憲法義解』と解説されています。
なぜ井上氏はあえて“統治”ではなく、“シラス”という言葉をつかったのでしょうか?
古事記には天照大御神が建御雷神(たけみかづきのかみ)を地上に遣わし、大国主神に「汝がウシハケル(領有する)葦原中国(あしはらのなかつ国)は、我が御子のシラス国であると仰った。汝の考えはいかがなものか?」と伝えさせています。
この場合の我が御子は天皇を示します。この後いくつかのやり取りがあった後、大国主神は素直に上の言葉に同意したので、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨し葦原中国(=日本)をシラスことになります。
死ぬほど考え抜いた井上氏は、神代の建国時から日本は変わっておらず、「日本は天皇がシラスと国だ。この言葉に尽きる」と、結論されたのでしょう。
では、シラスとウシハクはどう違うのでしょう。
ウシハクとは統治することです。現代で言えば内閣総理大臣が国をウシハク立場にあります。
シラスは、“知る”の丁寧形+命令形で、現代語に直訳すれば「お知りになりなさい」との意味です。天照大御神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国・国民のことを良くお知りになりなさいと教え、それが現代の天皇にまで受け継がれてきました。
東日本大震災の時、時の天皇陛下は、侍従にとても細かいことを聞かれたそうです。例えば、どこの避難所に食料の備蓄が何日分あるのかとか、行方不明者の捜索員は何名ぐらい足らないのかとか、そんなことを聞いてどうするのかと思うぐらい細かな具体的なことを質問されたそうです。
これは祈るためです。「どこかに大変な人がいるそうだから、神様なんとかしてあげてね」って具合の適当なお願いでは有難くもなんともありません。天皇の祈りは自発であり、自発的に祈るには“具体的に良く知る”必要があります。
もちろん東日本大震災のときのお振る舞いはほんの一例で、行幸などの各種ご公務を通じてお知りになる努力をされていると聞きます。
天皇は日本の象徴です。日本の文化の素晴らしさがここに表れているのではないでしょうか。聖徳太子の「一七条の憲法」にも、明治天皇の「五箇条の御誓文」にも会議を開いて、よくよく話し合うようにと第一に書かれています。よく話し合い、お互いに“良く知れば”、落としどころが自然に定まるということだと思います。
欧米人に比べて、武力による力任せの奪い合いを、日本人はほとんどしてこなかったのは、この天皇の象徴が古代からあったからこそでしょう。
ウクライナ紛争や、近隣諸国が威嚇を強めていたり、色々と大変化が起こりつつあります。プロパガンダも盛んに行われ、メディアも個人もポジショントークばかりです。何が本当で何が違っているのか全くわからないことも多いです。
それでも、いえ、だからこそ、分からなくても知ろうと努力し、得た情報を鵜呑みにせずに、継続して情報を集めることが今まで以上に求められていると思います。政治や歴史に限らず、科学技術に関しても同じことが言えると思います。
うまずたゆまず“知る”努力を続ければ、自然にすべきことがはっきりしてくるでしょう。
参考文献
「天皇の国史」 PHP 竹田恒康
「現代語古事記」 学研 竹田恒康
あみんこと“網野忠文”
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