転生
私は転生を信じています。「お前は見てきたのか?」「覚えている記憶を見せてみろ」と聞かれてもそんな証拠はどこにも持っていません。ただ、何度も転生してきたんだと思っているだけです。そんな氣がしているだけです。
なんで前生の記憶はないのでしょう。今を生きるのに邪魔なんだからではないでしょうか?
一般的なアラカンの人の場合を考えてみます。
大成功している事業家は、まったく新しい切り口で新しい事業には取り組もうとしません。逆にうまく人生の波に乗れず失敗に疲れ果てた人は、あまり動かず静かに暮らしています。これらは全く理解できることで、なんら非難の余地もありません。
どちらのケースも豊富な経験から自分で作った決め事に縛られて、新しい経験をする氣力を失っています。
いくら過去を忘れて新たにやり始めようとしても、前の記憶が邪魔して新しい経験を積むことができません。ひどい目にあったら、そこを避けて通るのは当たり前です。良い思いをしたら、それをわざわざ手放す人も多くはないでしょう。もうこれ以上の経験はいらないなぁっと思っていると、しばらくしたらお迎えが来るのかも知れません。もちろん志半ばで召される方もいらっしゃいますが、「もう十分。お腹いっぱい」な状態で死んでいくように思います。
経験は大切なものです。しかし、新しいことに取り組む際には邪魔になることが多いです。若い人たちが強烈なエネルギーを発しながら前進できるのは、邪魔になる経験がないからのように思います。
私たちは、邪魔になる過去生の記憶を一時手放して、この世に生を受けるんだと思っています。過去の経験に縛られず、もう一回どうしてもやってみたい何かを持って産まれてくるんです。それが何かは自らの深奥ははっきり分かっているはずです。
最近、弱気になることがあって「あぁ、面倒くさいなぁ。もう死んでもええわ」って思った時期がありました。そうしたら、めちゃくちゃに疲れてしまい、布団からでるのも大変な決心をしないといけない始末でした。
今の仕事は私には向いていないようです。すっぱり切って、「もう一回どうしてもやってみたい何か」を見つけて実行します。
この歳になって、ほとんど経験のないことに挑戦することになりそうです。でも仕方ないです。自分で決めたことですから。きっと過去生で経験したことをやり直すのでしょう。それが何かを楽しみにしています。
それでは!
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