2022年9月2日

人や動植物、更には鉱物まで、およそありとあらゆるものには想念があります。じっと後ろから見つめられると振り返ったりするのは、その人の想念を感じるからです。地面にいるハトに石を投げつけようとすると、殺気を感じて、投げる前に飛びます。ごく普通の会話でも、楽しいと感じるときは、お互いの氣持ちを感じ合い共感共鳴しています。映画館でも、となりの見知らぬ人の感情の動きを感じ取れます。

人、あるいは動植物の想念を感じ取る装置を想念センサーと呼びます。世間では実用化に至っていませんが、実験ではいくつ成功例があります。

私が想い描く想念センサーとその応用については、ここで詳しくは述べませんが、このセンサーの開発をしたいと思っています。ところが、どうにも開発に手を付けられません。少し調べるだけで、具体的な行動を起こせません。開発をやり切る自信がないのです。前例のない開発ですし、世間一般に受け入れられている想念を取り扱う科学もないので、開発に自信を持てないのも当然です。でも、自分はどんな新しいことをしたいのかと考えると、想念センサーしか思い浮かびません。前例がないだけに、新しい扉が一杯あるはずです。

このまま無為に時間を過ごし続けるわけにもいきません。ちょくちょくお世話になっているスピリチュアル的なカウンセラーさんに相談に行きました。彼女には想念センサーのことを何度かお話したことがあります。

「セッションでも毎回想念センサーをするところが出てくるから、あみんさんはきっと想念センサーをやるんですよ」と彼女は言います。そう言われると、「そうなのかなぁ、僕は想念センサーを開発するのかなぁ」って思いますが、やっぱり足はすくんでいます。失敗して何もかも失うのが怖いです。

そこで、“否定的な感情の潜在意識の部屋”に行くことになりました。目をつぶってリラックスし、カウンセラーさんの声を聞きながらゆっくりと軽い催眠状態に入ります。そして誘導に従って、意識の中で10段の階段を降り、ひとつの部屋のドアの前に立ちます。そこが目的の“否定的な感情の潜在意識の部屋”へ通ずるドアであることを確認して、中に入りました。

その部屋はジムのようで、様々な種類のウエイトトレーニングのマシンがありました。私はそこで一生懸命にベンチプレスをしています。課題に取り組むにはまだまだ力不足だと認識し、トレーニングをしているようです。

私は修行好きのようで、かつて、そのカウンセラーさんに「山があれば登り、なければ、山を造ってでも登るような修行僧」と言われました。潜在意識の中で「このままではダメだダメだ」と、またぞろ一生懸命に鍛えているのです。本人が満足するまで力を付けるには、どれぐらいの努力と時間がかかるのでしょう?果たして課題を解決するために有効なトレーニングなのでしょうか?分かっていませんが、それでも、頑張ってトレーニングをしています。

その部屋を宇宙からの光のエネルギーと、地球の大地のエネルギーで、カウンセラーさんに浄化してもらいました。部屋は明るくなり、トレーニングマシンも何もない部屋になりました。大きな窓がいくつか現れ、草木が生い茂る自然にあふれた庭が、その窓から見えました。

当初私は、これを「意識的なトレーニングは必要なく、自然にしていたらいいんだな」程度に軽く考えていましたが、もっと深い意味に気付きました。

何もない部屋は禅語の「無」を意味します。決め事も先入観も善悪の判断もない、意識の束縛から放たれた状態です。部屋は私の内面をあらわします。内面が「無」となった私は、窓の外の自然のエネルギーと共鳴して、モノを作り出します。あのセッションの意味はこれだったのです。

内観共振法の大野一道先生は「“無”、“空”からしか始まらない」とよく仰います。否定的な想念はもちろん、人間の都合で作った決め事などを持っていては、前例のない開発などできるはずがありません。

自我を虚しくし、何もかも天に委ねて仕事できるようになりたいと、改めて思いました。そうするにはどうしたら良いのでしょうか?これについてはまた別の機会に考えたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

あみんこと網野忠文