自分に聞く

ほとんどの人は人生の節目で、進む方向に悩みます。大学受験,就職,転職のタイミングで、どこの学校や会社を受けるべきか、今の会社を辞めて転職すべきか等々を真剣に考えます。職種の将来性、会社のブランド力・風土・安定性、自分の適性・能力、そして何よりもやりがいを感じるかどうかを検討します。

とは言え、どの進路も経験のない未知の世界です。色々と調べたり、経験者の話やアドバイスを聞いても、確信は持てません。しかも決断して選んだ進路の責任は全部自分がとることになります。「こんなつもりではなかった」、「こんな状況だったとは知らなかった」と、選んだ進路の実情を知ってから、文句を言っても仕方ありません。誰もが現状の環境で、より良くなろうと最善を尽くします。

私は大学受験と就職は、ほとんど悩まずに適当に決めました。現状の学校の成績でいけるところで、そこそこ興味が持てる勉強や仕事なら、どこでも良かったのです。大学は近くの大学、就職先は大手の電機メーカーに技術者として入りました。

私が40歳を回った2003年ぐらいの頃から、会社の業績が下がり続け、創業家一族の自己中心的な経営もあって、会社の未来に何の希望も感じなくなりました。そんなときに韓国のS社から声が掛かりました。処遇はこれまでより良くなりますし、やりがいのありそうな開発テーマもあります。やりたい仕事がなく、古くさい主義主張を繰り返す上司に飽き飽きしていたこともあり、転職はとても魅力的でした。

しかし転職するとなると、今まで一緒に働いて来た人たちと離れることになります。私は終身雇用が当たり前の時代に育ちました。大企業に入ったら、転職を考える人はそう多くは周りにいなかったです。転職すると考えると、会社の仲間を裏切るような氣持ちになりましたし、大きな会社に入社したと安心しきっている親のことを考えると、氣が引けました。会社の方針が気に入らなくても、仕事がつまらなくても、じっと我慢していれば、ご飯を食べられるだけのお給料はもらえます。でも、そんなことのために自分の時間を無駄に使われるのは、やっぱり嫌です。

「S社に行きたい。でも、どうしよう」と随分悩み、自分の胸の奥に何度も聞きました。「いいのか?行ってもいいのか?本当に俺は行くのか?」

二週間ほど悩んだころでしょうか、不意に「いいよ、S社に行っても。自分を試したいんやろ」との声が聞こえました。私の胸の奥深くにいる、別人格のもう一人の私が答えたかのようでした。この声を聞いた瞬間に、「あっ、行ってもいいんだ」とぱっと目の前が開けたように感じたのを覚えています。そして、私はS社に転職しました。

S社での仕事は楽しかったこともありましたが、2010年頃から成果が出せなくなってきました。2012年から部署換えがあり、心機一転してできる工夫は全部して、成果を出そうと決意しました。優秀な日本人技術者と積極的に交流したり、毎日韓国語を勉強して上級試験にパスしたり、色々と頭をひねって提案書を一杯書きましたが、どうにもうまく行きません。私に成果を出されると、韓国人の立場がなくなるからです。

一体どんな工夫をしたらいいんだろう?と悩んでいると、また不意に「もう帰るしかないだろう」との声が聞こえました。それが胸にすとんと落ち、「あぁ、俺は帰るんや」と納得しました。やれるだけやって、居場所がないのなら会社を辞めるしかないと、胸の奥のもう一人の私が教えてくれたのです。次の仕事のことも考えず、契約年の途中であるにも関わらず、あの声がした途端に会社を辞めて日本に帰国しました。

今月、あるお仕事のお誘いがありました。画期的な開発テーマで、量産化に成功すれば、大きな利益が出そうです。しかし、失敗すると投資した時間とお金が無駄になるリスクもあります。そして、私はその開発に情熱を燃やせるのでしょうか?想像さえしたことのなかった開発テーマなのです。

ああすべきだとか、こう考えるべきだとかの、決め事を全て外し、素直に自分の胸の底から響く声に耳を澄ませ、決断を下したいと思います。

あみんこと網野忠文

氣付き

Posted by amin_itsu