中今

「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

西行法師が伊勢参りに行かれたときに詠んだ歌です。「どなた様がいらっしゃるのかは、よくは分かりませんが、恐れ多くてありがたくて、ただ涙があふれるばかりです」という意味です。先週の千手観音菩薩像のお写真は(http://itsu-reiwa.com/2021/02/28/%e5%8d%83%e6%89%8b%e8%a6%b3%e9%9f%b3/)、私をそんな氣持ちにして下さいました。

いつまでも言葉にできない偉大な存在に思いを馳せていても、前に進めません。遥か高みをあこがれつつも、現実に戻り先週書こうとしていたことを投稿します。

仕事でもスポーツでも、或いは健康を取り戻そうと目標をもって頑張っているとき、行き詰まりや限界を感じることがあります。「もう無理や」とやる気を失って諦めてしまい、目標を放棄してしばらく落ち込んだ経験は誰でもあるのではないでしょうか。そんな時に神仏にお願いするのは自然なことです。

苦しいとき、千手観音様は無数の手で私たちを救ってくれる在りがたい存在として信仰を集めている存在と考えていました。しかしそうではなく、私たちの中に千手観音様がおられ、あの手がだめならこの手、この手もだめなら別の手と、次々と手を変えて問題が解決するまで手を出し続けるのだと教わりました。普通の人は一度の失敗だけでもがっかりして、次の手を出すのに臆病になってしまいます。しかし失敗をものともせずに、「これではダメなんだ」と学び、次の挑戦をし続けるしかありません。すごい人は失敗を失敗とも考えません。ただ次の手段に移行するだけです。ひたすら目標に向かって邁進します。そうすれば、課題の方が根負けして解決されてしまいます。

そういえば似たような考え方を、いろいろと違う表現方法で今まで教わってきました。

現代の吉田松陰とも呼ばれる経営コンサルタントの福島正伸先生は“限界”について以下のように語っています。

「やりたいかやりたくないかが問題で、やりたいと思ったらできる方法を探すだけです。『何のためにこれをやるのか?』というところに常に戻るようにすれば限界はなくなります。限界は単なる思い込みです。限界だと思った瞬間に限界が起きます。できるかできないかを考えるんじゃなくて、やりたいかやりたくないかを常に考えます。そうすれば無限に新しいやり方が見つかります。手法は無限にあります。時間、金銭、体力は有限だけど、考える智慧やアイデアは実は無限にあります。失敗を糧にして気付きを得、学ぶと、限界はありません」。

『できるかできないかを考えない』っていいですね。ついつい、ここに”できるかできない”だけに焦点をあてがちですが、そうすると手がでなくなります。更に福島先生の言葉は次のように続きます。

「やり方にこだわると限界にぶつかります。環境や状況が違うと同じやり方ではどうしても通用しないときがあります。その時はやり方を変えるんです。こだわるべきは目的です。同じやり方でやっている方が楽ですから、できればやり方を変えたくない。新しいやり方は違和感があり、しかも成功の確率がわかりません。でも違和感があり続けないと成長しない。どこかに違和感があるのは挑戦し続け、成長している証拠です」。

『違和感があるのは挑戦し成長している証拠』なんとも前向きな言葉です。勇気がでてきます。福島先生は“行き詰まり”については、次のように語っています。

「結果がでなくて『手は尽くした』というときに行き詰まった感じがします。実はそれは今までのやり方や、自分がここまでやったんだからという氣持ちに囚われている可能性があります。行き詰まったのはもう手がないと思っている状態なんですが、自分の過去のやり方や概念をベースに考えていると、どこかで行き詰まります。知識や経験、概念はまだまだ成長できます。行き詰まったら過去の自分を捨てる場所です。新しい自分に変わる場所です。今までにない概念、発想を得て自分が変わる場所です。そこは改善改革よりも大きく飛躍するチャンスがあります。なぜなら今までにない大きな成長ができるからです。ちょっと変わるんじゃなく、大きく変わるんです。行き詰まったとは過去の自分が手を尽くしきった状態です。今までの自分だったらやらなかったことをやる新しい自分に変わる場所です。自分が脱皮する場所なんです」。

『夢』を決して諦めない福島先生らしい言葉です。5年ほど前に福島先生の講座を受けて深く感銘を受けましたが、かなり意識的に自分を変えようとする福島先生のスタイルは、今の私には若干の不自然さを感じさせます。大変勉強になるのですが、自分にむちを振るうような感じに若干の違和感があるのです。

もっと自然な無理のない考え方を探していましたら、神道の“中今”という言葉を思い出しました。これは何かの行為を指すのではなく「今ここ、この瞬間」に意識を集中させることです。仕事でも家事をしているとき、どんな時でも、ひとつひとつの動作に心を込めて集中することです。

今を生き切れることに徹すれば、過去の失敗と落胆や、未来に対する不安に囚われることなく前に進めます。結局は福島先生も“中今”も、次々と手を出していくことには変わりはありませんが、私には“中今”の定まりを好ましく感じます。

そうは言っても、何も頼るものがないと過去の嫌な経験や、未来に対する不安で浮き足立ち、“中今”どころではなくなります。見えない偉大な存在に守られていることを感じ確信し、常に心が平安であることが結局は一番大切だと考えるようになりました。

では、どうしたら見えない偉大な存在に守られていることを知ることができるのか?誰にでもその存在はあるとは感じますが、それをうまく伝える方法を探しているところです。少しお待ちください。

それでは、今回はこれにて失礼します。

氣付き

Posted by amin_itsu