呼ばれてますよ!!

今朝、夢をみました。職場の2階で自分のしたいことをして、楽しんでいるところでした。別に遊んでいるわけではなく、何かいつもやっていることです。少しずつ着実に進むのが分かっていて、それを通して自分も学べ「きっと、こんなことができるようになるんだ」と予想できる仕事です。こういう仕事は気楽で楽しいものです。

そうやってゆったりした氣分で働いていたところに、1階から男の人が駆け上がってきて、すごい怖い顔をして私に「呼ばれてますよ!!」と叫びました。見れば机の上の電話機の外線が光っていて大きな音でリンリンとなっています。びっくりして受話器を上げたところで夢から覚めました。

人は魂の成長をするためにこの世に生を受けると言います。でもどんな成長をするためにどんな課題を生まれる前に設定してきているかは分からないとも言います。

思春期の受験勉強では「英単語を覚えましょう」、「数学や物理を理解しましょう」「そうすれば志望校に合格でき、あなたの将来は安泰です^^/」と言われて、勉強をさせられました。分かりきった方法論である程度の成果はでます。

スポーツもそうです。まずは方法論を教えてもらって練習をします。それなりに上達するのは楽しいですが、結構簡単に飽きます。そしてこんなものかと分かったような氣になります。

「こうすればああなる」式の方法論に安住していては、実は本当の成長になりません。受験勉強もスポーツも明確に「こうなりたい!」という目標があるので、頑張れます。でも魂の成長の先に何があるのかは分かっていません。何故なら、成長した魂の視点で見る風景と、今の自分の視点ではまるで違うからです。本当の成長においては、目標とすべきものが見えていません。

ですから、今の自分の“我”の価値観で「こうなりたい!」と頑張って得た結果は、数字的には上がっていますが、実は同じところをグルグル回っていて、本人の視座は同じところに留まり成長していません。“我”が自分の言うことを周りに聞かせているだけです。

そうではいけない。すべきことは他にあります。今の自分の“我”はすぐに方法論の中のぬるま湯でゆっくりしたがります。学校の先生や親に教えてもらったことにも頼れません。真面目な人は正しいと教え込まれた答えをむりやり自分に押しつけようとし、自分を律しようとしますが、それもおかしい。自分をだましています。

答えは自分の深奥にしかありません。心を平安にして、全てを委ね、深くレベルで感じることで“我”から解放され、やるべきことができるようになります。「方法論」で遊んでいた私を今朝の夢がたたき起こしてくれました。

私の知人が二人、脳の発作で近頃亡くなりました。40代,50代の若さでした。厳しい言い方かもしれませんが、「呼ばれている」ことに気付こうとせず、神様がお召しになったのかもしれません。生き永らえたいから言うのではありません、せっかく授かったこの命をずるずるとだらしなく使ってはいけない。今は本来の目的が見えないけど、素直に進めば見えるはずです。これまでもそうでした。また新しく出発しようと改めて思いました。

一般,氣付き

Posted by amin_itsu